ブログの抜け殻

コロんでコロんでコロなりました

オリンピック招致から撤退する都市が相次いでいる件

朝日系列はあまり読まないが、下記の記事は参考になった:

東京五輪失敗の根本原因はコロナではない 経済思想家・斎藤幸平 〈AERA〉

下記はBBCの記事。BBCは自国イギリスのことを盛って自画自賛する傾向があるので、その分は差し引いて読んだ方がいいが、カナダのカルガリーや米国のボストンがオリンピック招致合戦から撤退した理由を記している:

下記記事より引用:「政府が五輪を公共政策の問題と考え、良い点と悪い点を真面目に評価する時、有権者はこれが単に自分たちにとって得策でないことに気づき始めているのです」とデンプシー氏は述べる。

なぜオリンピック招致から撤退する都市が相次いでいるのか - BBCニュース

「ええーっ?パリは今度は3度目なんだって!ロンドンも3度目だよね、じゃあ東京もやらなくっちゃ♫」なんていう、末代まで呪いをかけるような愚行をしないために、上記記事のリンクをここに残し、自らの戒めとしていきたい。

パリやロンドンに憧れるのは危険だ。 パリも、ロンドンも、前世紀が終わるまでにある意味で‘終わった‘国の首都である。 つまり、毎シーズン毎シーズン、イナゴのように押し寄せる観光客に地元住人がヴァカンスという名の疎開を余儀なくされるという、観光産業依存という名のアヘン中毒から逃れられなくなった国なのだ。 もう何年も前に、観光産業とは施しを受ける乞食稼業のような産業である、という内容のエッセイを書いたのは、小田嶋隆氏である。 今のところ日本は、氏の慧眼に満ちた予言どおりの方向に転がり落ちていっているが、日本にはまだ全うな産業が残っている! 英仏や、観光客を受け入れざるを得ないスペインやイタリアを見習ってはいけない

見習うべき‘先進国‘は、カナダ(カルガリー)や米国(ボストン)のほかに、やはりオリンピック招致から撤退したノルウェー(オスロ)といった国々だ。 また、ドイツでは久しくオリンピックが開催されていない。 欧米から学びたい向きは、これらの国がなぜオリンピックを招致しなかったのかを、学ぶとよいだろう。

上記のBBCの記事は続く: しかし現実は、いかに五輪に利点があろうが、小規模の都市からの立候補はない。では、もしIOCにとって最悪の事態が起こり、開催地への立候補がなくなったら、IOCは何ができるだろうか? 「合理的な方向としては、夏季大会と冬季大会を永続的に開催する都市をそれぞれ1つずつ作ること」だとジンバリスト教授は話す。

この永続的に開催を任された都市に、日本の都市が選ばれたら、それこそ大変なことになる。「日本人の忍耐強さ」と持ち上げられて舞い上がって、IOCから未来永劫唯一の開催都市にというババをつかまされたとき、日本は永久にIOCに搾取され続ける植民地となってしまうのだ。

長野五輪も長野県民に多額の赤字を残したと、聞いている。 今回の東京も同じだ。 この赤字を補てんするために、観光産業に一層傾斜していくと、ハワイや、イタリアや、スペインと同類になってしまう。 よほどの地下資源でも出ない限り、ハワイのような離島は観光産業に依存せざるをえないだろうが、日本は面積も経済もはるかに大きい。 江戸時代から「上(じょう)は来ず」と言われた。 上顧客とは、来訪することなく、金だけを払ってくれる客である。 つまり、地元で作った物やコンテンツを、通販や貿易で売ればよいのである。 かつての日本が、理想的な姿なのだ。 私たちは本質的に優れた国民である。 祖父母や両親が必死に築き上げたあの日本を、再現することができる。

「日本は素晴らしい」と賛辞をおくる人たちの出身国を考えてみると良い。地下鉄で居眠りでもしようものならたちどころにみぐるみ剥がされてしまうような国から来ているではないか。 日本は違う。 日本が世界一安全なのは、日本人が世界一文化的であり、日本人一人一人がちょっとずつ我慢しながら日本人が住みよい日本にするために真面目に働いて社会インフラを築き上げてきたからだ。 それをタダどうぜんで放出してどうするのだ? 当の日本人が自分の国でヘコヘコ遠慮して一体どうするのだ? 世界一安全で文化的な体験をしたいなら、それ相応の対価を払うのが当然だ。 日本人のおもてなしは、極めて高付加価値のサービスだ。 それを、タダ同然でサービスするのは、愚か者のすることだ。 しかも、決まりを無視するような低俗な輩たちにヘコヘコヘラヘラしていることは、「おもてなし」でも何でもない、「日本人は大バカ野郎です」と言っているようなものなのだ。 もっと、自分の尊厳を大事にしないでどうするんだ? 自分の同国民の尊厳を大事にしないでどうするんだ? 日本人による超高付加価値のサービスは、もともとそれを享受するに足る礼節をわきまえた日本人とのためのものだ。 外国に安売りしてはならない。 その代わりに外国には、物やコンテンツを売って、彼らを「上(じょう)は来ず」の上顧客にしてあげればよい。 

日本人が海外旅行に行ったときはどうなんだ? 自分の国より治安が劣るところへ行って、礼儀正しく振舞ったって、言葉が通じない不便を感じ、スリに狙われる、パスポートを奪われる、差別される。 私はベルギーの首都で小石を投げられたり、嫌なことがいろいろあったから、海外旅行なんてしない。 また、日本人の観光客が多数海外に旅行していた時代、いったいどこの国に、地下鉄の駅に日本語の表示があったというのか? その国の公共交通機関の駅の標識が複数の言語で表示されていることの意味を考えたことがあるのか? 東京メトロの銀座線内の表示が意味するのは、「日本は、日本語のほかに、英語・中国語・韓国語が使えます」と言っているようなものだということに、どうして気がつかないのか? 銀座線や日比谷線を4つのパラレルワールドにしてしまっていることに、どうして気がつかないのか? ホームドアの注意書きが日本語では「○○しない」とぞんざいな命令調なのに、どうして英語では「Please do not ○○」バカ丁寧なんだよ? 日本語の「○○しないで下さい」は英語では「Do not ○○」でじゅうぶんなんだよ!日本人のような丁寧で礼節を重んじる人たちじゃないんだ。それなのに、どうして、この国の主人である日本人に対して、ぞんざいな言葉をつかうんだ? 日本人の善意からの気配りを、外国人観光客はわからないどころか、それらがひどく誤解されているというのに! 日本人の美徳の遠慮は、日本以外では誰にも通じないんだよ。 彼らに遠慮するだけ損なんだよ。 身内を卑下するのはいいかげんやめろ! 身内を卑下していいことなんてひとつもない。 

私だって、こんなことを書きたくない。私は、左でも右でもない、どこにでもいる人間だ。 ただ、人生の一時期を日本以外の国々で暮らしたことがあるから、わかるんだ。 差別も受けたし、怖い思いもしたし、生活で不自由な思いもした。 その国の言葉を流暢に話さなければ人間扱いされないことを知り、必死に覚えて、自分の正当な主張を通すために必死に言い合った。 その経験から、日本人にとって、日本ほど心安らぐ、安全で文化的な国はないということを知っている。 その日本の、私が日々穏やかにくらすための環境が誰かに脅かされたり占領されたりしたら、この地球上の一体どこに、ここに代わる地があるというのか? 私はただ、自分が国籍を持ち住居を構え税金を納めている国とこの場所で、安心して暮らしたいだけなのだ。

この国に生まれ育ち、この国の言葉を話し、この国で税金や健保や年金などをきちんと払い続け、ささかやな家に住み、コロナ禍の中、政府が呼びかけるワクチン接種を安全に受けるために、持病とワクチン接種の副反応について医者にたずねるために、安心して公共交通に乗って病院に行きたいだけなのだ。 この国の国民として、安心して公共交通に乗り、街を歩き、日々の生活を送りたいだけなのだ。

 

ぼんやりぶろぐ