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コロんでコロんでコロなりました

岸田首相、水際対策「緩和の方向で検討」【読売】

 

 

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コロナ以後、銀座にかつての品格が戻ってきている。

インバウンドの嵐が吹き荒れていた頃の銀座や、銀座線の車内は、

日本人にとって「異界」の様相を呈していた。

日本でコロナの感染が「爆発」しているといっても

欧米諸国と比べてその数がすくないのは、

「一人一人が少しずつ我慢して行動すれば、

 社会全体の安心と安全が保たれ、

 その結果として、

 自分たち一人一人も

 社会全体の大きな安心と安全という、

 莫大なメリットをエンジョイできる」

という考えを伝統的に持つ日本人が

日本国内で圧倒的なマジョリティを占めているからだ。

このような考え方が、

満員電車などの車内における

乗客の行動(常時マスクを着用して無駄なおしゃべりをしない)に現れていて、

だからこそ、サラリーマンたち会社員は、

遠方から公共交通に乗って職場に通うことができる。

日本人は、日本語を話す国民だ。

日本語が、日本の文化と生活行動の基盤だ。

これが、

海外からインバウンドを受け入れはじめれば、

日本語を話さない、つまり、

日本人がどうして屋外でも屋内でもマスクをつけて

電車の車内でも黙って静かに電車に乗っているのか?

について、

まったく理解しない観光客たちが、

日々生活のために通勤する人たちが日常的に使う公共交通に

かつての銀座線の車内のように、

巨大なスーツケースを平気で持ち込んだりして、

我が物顔で跋扈することになる。

中にはマスクをつけない者たちもいるだろう、だって、

自分たちの本国でマスクをつけなければ、

特にリスペクトもしていない日本でマスクをつけるはずがないからだ。

日本人が英語で注意しても、鼻で笑われるだけだ。

日本で働く人たちの生活の足が感染の媒介物になってしまっては、

日本の労働力はダメージを受け、

日本の人々の生活は疲弊し、

日本社会の無形の潜在力が大きく損なわれる。

東京オリンピックで、

地元の住民たちの忍耐の緒は切れる寸前だった。

それが、コロナの世の中になり、

インバウンドが激減したことで、

街からゴミが消え、美観がもどり、

日本に住む主人公である(はずの)日本人が

コロナの中、安心して街を歩けるようになったから、

銀座が日本人だけでごったがえしているのだ。

日本人は、マスクを常時着用するというコストを払うことに寄って、

自分たちの土地を取り戻した開放感という、

大きなメリットを享受しているといえる。

インドネシアのバリ島でもそうだろう。

 インドネシア国内のインドネシア人たちが

 伸び伸びと訪れているのではなかろうか。

 外国人がすっかりいなくなった京都を満喫する日本人たちと同じように)

実は、岸田政権の支持率は、

厳格な水際対策と相関していると思う。

 

それから、

日本の公共交通の車内や構内をはじめ、

日本の公共の場所を多言語化することは、

日本人の日本語の空間と時間を削って

諸外国語の話者たちに向けて、

「私たち日本人は、あなた方の言葉を受け入れていますから、

 どうぞお好きなように実効支配してください」

とお願いしているようなものなのである。

「おもてなし」では、ない。

自ら、誰に頼まれてもいないのに、

たくさんのパラレルワールドを作っているようなものなのだ。

そこに、「おもてなし」の強制呪文にかかった日本人たちは、早急に気が付くべきだ。

いちばんよいのは、

日本語の漢字にすべてひらがなの読み仮名をつけることと、

日本語を大きく、その下に、ローマ字表記を小さくつけることだろう。

視覚的に、

「ここは日本ですから、当然のこととして、日本は日本人にとっていちばん便利で安全なようにできている国ですよ」

という視覚的なメッセージを放つのだ。

なぜなら、この国は、

日本の国籍を持ち、日本語を話す日本人たちの国だからだ。

また、

言語化すれば、

「何故インドネシア語で表記してくれないのか!?フランス語は?」

と、全ての国の外国人に対して、不公平を課すことになる。

「ここは日本なのだから、当然日本語で表記しますよ。

 でも、ひらがなで読み仮名をつけますし、ローマ字でも読み仮名をつけておきますからね。」

 とするのが、万国からの外国人にとって、いちばん公平なのだ。

ぼんやり