女の浅知恵
今は「女性差別だ!」と叫ばれるだろうが、かつて「女の浅知恵」という言葉がよく言われた。
今も、「女の浅知恵」は存在するだろう。
これに、「男の浅知恵」が加わっただけだ。
歌舞伎に「髪結新三」という演目がある。 実際に起こった事件にインスパイアされて作られたそうだ。
元ネタとなった事件はこれだ:
時代を問わずに、浅知恵は露見する。
ツメがお粗末だからだ。
お粗末になるのは、周りにツメの辛い人がいないからだろう。
イエスマンばかりに囲まれて育つと、こうなる。
だから、家付き娘には、家付き娘なりのハンデがある。
頭を踏みつけられたことがないから、世間様の価値観からみると、ハズしたことをしてしまいがちなんだろう。
何不自由ない環境に育った人たちが、必ずしも有利な人生を送れるわけではない。
そればかりか、大ハズしすると、自分ばかりか、自分の家族や家の存続までも脅かすことがある。
白子屋お熊がそうだった。 彼女は打ち首獄門、関係者は死罪や遠島や江戸処払いとなった。
父親の白子屋が江戸処払いとなり、その地位と一等地の日本橋の土地を失ったことで、白子屋は事実上廃業になったのだろうか? 親戚が入って立て直したとしても、お熊の所業によって著しく傷ついた評判と信用を回復するのは不可能だろう。
つまり、お熊は、結果的に自分の家をぶっ潰したのだ。
世の中で最も大切なのは、カネではない。
世の中で最も大切なのは、世間様からの信用だ。
誠意と尊敬と陽の努力の継続が、世間の信用を生み、信用がお金を生む。 「天下の通用」であるお金は、世間様が下さるからだ。
カネばかりあってもこれらが無ければ、カネはやがて尽きる。
世間様は、信用できない輩にお金を下さらないからだ。
カネが尽きた時、蟻地獄が待っている。
寄生虫にたかられながら、蟻地獄に堕ちていく。
過去の醜聞も、生き方の役に立つことがある。
白子屋お熊の一件を他山の石としたい。
ぼんやり