ブログの抜け殻

コロんでコロんでコロなりました

赤ベロベロのしょうゆ漬け

むかし某演芸場で某噺家が高座にかけた「棒鱈」で、会場は大爆笑の大ウケ。 リトマス試験紙のような演目。 昔も今も変わらないことがあり、良識ある人々は決して表だっては明言化しないが、昔も今もこれからも、その土地の空気の中に漂い続けていて、然るべきところでは、昔も今もこれからも嘲りの大爆笑が起こり続ける。 腹を立ててはいけない。 その土地での呼び方を知ろうともせずに、教わろうとも習おうとせずに、つまり、その土地に何らコミットすることもせずに、「赤ベロベロのしょうゆ漬け」なんて平気でのたまい続けていたら、いつまでも笑われ続けるに決まってる。

その場所に馴染もうと、言葉を覚え、振る舞いを覚え、100年間努力して心底馴染めたら御の字というものだ(もっと厳しい場所もある。どこかの都では、そこで100年間努力してようやく新入り扱いと聞く)。 100年200年のの命をつないだリレーに敬意を払うのが、人間としての道理だ。 今現在その地に居る人たちは、かつて彼らのご先祖様たちが必死で努力して、その土地に馴染もうとその土地の言葉を覚え振る舞いを覚え努力する姿によって当時の人々に受け入れてもらって、小さな居場所を得て、それを何があっても手放すことなく、幾多の災害戦禍の中にあって命をかけて懸命に守り受け継いできた結果として、今悠然とその場所に居るのだ。 コソクな手を使ってかすめ取っても、人々は見ているから、物理的には存在していても、いつまでたっても受け入れてもらえずに、「ここには居ないもの」として扱われるのがオチだ。 手っ取り早いからといきなり征服したって無駄だ。 人の心は征服できないからだ。 仮に皆殺しにしたとしても、同情した周りの人たちが神様や伝説の王様に格上げして奉り上げ、その時その場に漂っていた人々の念は、その場の空気の中に脈々と受け継がれていく。 地球上、どこへ行っても、人間が生きる場所ではそうだ。

Wikipediaより: The term originates from the Greek: βάρβαρος (barbaros pl. βάρβαροι barbaroi). In Ancient Greece, the Greeks used the term towards those who did not speak Greek and follow classical Greek customs. 

Barbarian - Wikipedia

 

ぼんやりぶろぐ