ブログの抜け殻

コロんでコロんでコロなりました

地元住民が無視されカモられるオリンピック開催

札幌招致するの?いや~やめといたほうがいいと思う。北海道は観光収入への依存が大きいけど、オリンピックでカモにされたのは今回の東京だけにしておいたほうがいいと思う、東京に住む一個人として、心からそう思う。 

何度も書くが、落語の「居残り佐平次」でいうところの「上(じょう)は来ず」だ。 昔も今も、最上級のお客さんは、来訪しないんです。 来訪せずにお金だけ払ってくれるのが、上顧客です。 これとは対照的に最下級の客は、やってきて金を巻き上げてさんざん銀ブラしてからトンヅラする輩です。 こういう最もタチが悪い最下級の客は、二度と来ないように厳しくブロックしなければいけません。

「上(じょう)は来ず」の上顧客に向けて、売れる物やコンテンツを作って、それらにストーリーをくっつけてどんどん販売輸出する。 そうすれば、地元の人たちの住環境が観光公害で汚染されることがない。 ありきたりな方法だが、北海道は強力なブランド力を持っているのが強みだ。 デパートの催し物の王者といえば北海道物産展だ。 スキーリゾートも、お金の無いうぞうむぞうの低級客は排除して、たくさんお金を払う客だけをリゾート内に閉じ込めて、たくさんお金を使わせる。 客を差別してヒドイって? とんでもない! 世界中の高級リゾートの手口は、コロナのずっと前からバブル方式だ! 小金をもっている観光客を孤島や陸の孤島に物理的に閉じ込めて、そこで楽しませて高額な値段をつけた食べ物やサービスを買わせてお金をどんどん使わせるのだ。 だから私は、とある国のリゾートに行ってバカバカしくなってもう行かなくなったのだが、リゾート体験を欲しがる客はたくさんいる。 肝心なのは、観光客をリゾートバブルの中に閉じ込めて、一歩も外に出さないことだ。 気軽に外に出られてコンビニ弁当でも買われて部屋で食べられると、バブル方式に穴があいて何にもならないからだ。 「この頃のヒグマは冬眠しないのがいる。勝手に出てヒグマに食べられても知りませんよ」とおどかせばいい。 実際に北海道では、報道されないだけで、毎年ヒグマによる人への被害が出ているからウソではない。 東京五輪のような最初からはじけていた絵に描いたバブルにならないように、水も漏らさぬリアルなバブルの中にしっかり閉じ込める。 幸いにして、北海道の雪に埋もれた中のリゾートは、客を閉じ込めるのにうってつけだ。 また、観光地で観光客のお世話をするのは、パリでもロンドンでも出稼ぎの外国人たちだ。 観光客にとっては、同じような人種であれば、外国人とはわからない。 ウェイトレスさんと話してはじめて、ぜんぜんよその国から旅行シーズンに出稼ぎに来ているムクドリさんだったのか~とわかったりする。 このような要塞のごとき堅牢なバブル方式で、よそさんをツーリスト・トラップ(罠)にはめておいて、その傍らで、地元の人たちはツーリスト・トラップからの利益の上がりで快適な地元民専用のスキー場を作って、身内だけで、内輪だけで、ゆうゆうのんびりとスキーを楽しめばいいのだ。 これこそが、地元住民が最も優遇されていちばん良い思いをするパラレルワールドなのだ。

観光産業というものは、こういうものである。 世界中どこでも、小金を手にしてセレブでラグジュアリーな体験をしてみたい中流階級の財布を狙ってカネを使わせる、社会の富の移動装置なのだ。 (だから、富裕層に限ってつまらないことにお金を使わないから、お金が減らないのでいつまでも富裕層なのだ。)  

下記の記事に添付したリンク先の記事を読めば、カナダのカルガリーがオリンピック招致を取りやめた理由がわかる

 オリンピック招致から撤退する都市が相次いでいる件 - ぼんやりぶろぐ

前回の東京&札幌オリンピックは、戦後の発展途上だった日本がインフラを急速に築くために有益だったと思うが、今はもう景色がぜんぜん違う。 

日本はバブル経済の破綻で一回カモられたから、金融市場ではあんなにひどくカモられることはもうないのかなと思う(いや油断できない)が、オリンピック招致はそんな日本の死角を突いてきたのだ。 今のオリンピックや統合型リゾートは、外資がやってきて何も知らない原住民からぼったくるためのメカニズムであることが、今回判明した。 法外な勉強料を払って東京オリンピックで勉強したので、日本はオリンピック開催からはもう卒業だ。 それから、陸上などの世界大会ももう卒業。 今回、地元民は「忍耐」をいいようにタダ乗りされた。 バブルは最初から破れていて全く機能しなかったばかりか、大会が終わった後もワームたちがのたくり歩いて始末に負えないということが、はっきりと明らかになった。 責任は金銭負担といっしょにぜんぶ庶民に丸投げ! だから国際大会の類は卒業。 大御所北島三郎が紅白から卒業したように、何かからの卒業はカッコイイ。