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コロんでコロんでコロなりました

7月下旬~8月下旬は、死者の月

例年、7月の終わりに、隅田川花火大会が開催され、8月に入ると、広島・長崎原爆投下記念日、終戦記念日と続くが、もともとお盆のシーズンである。 子どもの頃の夏休みの記憶。 暑さと麦わら帽子とセミの声と入道雲と夕立ち、そのあとの涼しい風に早くも秋の気配が感じられ、世間では死者の話が中心となる。 日本では、7月下旬から8月下旬にかけては、死者が主人公。 死者たちを静かに迎え、台風が過ぎるのを待つ。

 

ウィキペディアからの引用: 隅田川花火大会 - Wikipedia

顧みますれば、今から二百余年前、享保十七年、八代将軍吉宗の時、前年の豊作に引かへて大飢饉が襲来し、米価頻りに騰貴して、山陽、西海、四国が尤も甚だしく、民の餓死するものが九十六万余人に達したといはれ、且つ江戸においてはコロリ病(現今のコレラ)が流行し、死者は路傍に打棄てられる有様であつたので、時の政府は、その慰霊且つ悪疫退散のため、両国川下に水神祭を催して死者の追善供養を行ひました。翌十八年、前年の水神祭、川施餓鬼に因んで、矢張り五月二十八日に川開きを行ひ、八月二十八日に至る三ケ月の間は、数限りもない屋形船、屋根船、伝馬、猪牙船などの納涼船が山谷、橋場、遠くは白鬚、水神のあたりから、一方深川辰巳花街から大川尻まで『吹けよ川風上れよ簾』とゆるゆると涼を追ふて明け易い夏の夜を、更くるまで水に親しみ、東都歳時記にも『今夜より花火をともす』とあるのを見ますから、五月二十八日の川開き以後、毎夜のやうに色々な趣向を凝らして大小の花火や仕掛花火を打あげたものであります。— 三宅狐軒「川開きと花火の沿革」より抜粋

 

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